ほんとうに美味しいお酒を飲んでほしい。日本で女性初のバーテンダーが表現する『伊香保の四季』 -取材vol.7
その道60年以上、日本で女性初のバーテンダー
群馬県渋川市・伊香保温泉の伝統ある旅館「千明仁泉亭(ちぎらじんせんてい)」のなかにあり、昼はカフェとして、夜はバーとして営業している『楽水楽山(らくすいらくさん)』。
レトロな雰囲気で落ち着きのある空間があった場所でカウンター内に立つのは、常連様や業界の仲間たちに愛され惜しまれながら、2023年8月末に引退した上田尉江(うえだやすえ)さんです。
もともと銀座で伝説のバー「ひみこ」のマスターだった上田さんは、その道40年以上の大ベテラン。
日本で女性初のバーテンダーとして知られています。
やがてひと区切りついた頃、自然に囲まれてのんびり過ごしたい思いと、ご縁も重なり、伊香保へ移りました。
━━━━上田さんのこれまで━━━━
1941年 生まれ
1956年 銀座のホステスで働く
1961年 オーセンティックバーで勤務・バーテンダーを始める
1982年 銀座で伝説のバーといわれていた「ひみこ」でマスターとして働き始める
1990年 カクテル『伊香保の四季』が誕生
2000年 3月3日 「ひみこ」で火災が起きてしまう
2000年 6月3日 新生「銀座 ひみこ」を開店
2004年 伊香保へ移り、「楽水楽山」を勤務
2023年 8月 バーテンダーを引退。
現在 「楽水楽山」はリニューアル中。その後は上田さんの後輩が勤務する予定
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伝説のバー『銀座 ひみこ』
日本で女性初のバーテンダーである上田さん。
そのバーテンダー歴はなんと!60年以上前の1961年から。
上田さん:
バーに勤めることになったのはお客様に紹介してもらったことでした。
お酒がたくさんある環境にいたものですから、どんどん興味が湧いてきたことがきっかけで、気づいたらバーテンダーになっていました。
やがて当時の兄弟子で、上田さんとは別のお店に勤めていたご主人とのご縁で、1982年に銀座7丁目あたりで「銀座 ひみこ」を運営することに。
『銀座 ひみこ』でカクテルを注ぐ上田さんとご主人。
上田さん:
当時の銀座には、スナックという業態ができはじめて、ボトルキープばっかりでした。
カクテルの人気が廃れてきた頃でしたからね、なんとかしないといけないなと。
私と主人、せっかくバーテンダーが2人いるので、ボトルキープはなるべくお断りして1杯ずつ心をこめて作るカクテルを提供するようにしていました。
ほんとうに美味しいお酒を飲んでもらいたいという想いの詰まったカクテルは飲む人々を魅了し、当時からメディアに取り上げられるお店に。
上田さんが伊香保へ移ってから約20年経った今でも、銀座では知らない人はほとんどいないほど有名店です。
上田さん:
まるで倉庫みたいな、決して綺麗ではない空間でしたけど、一緒に運営してきた主人が1989年に亡くなってからも、約11年ほど愛をもって営業していました。
—— しかし、忘れもしない2000年3月3日金曜日。
「銀座 ひみこ」が火事になってしまい、上田さんはお店から離れざるを得なくなります。
ところが、すぐに心機一転、お店を新しくオープンさせることを決意。
バーテンダー仲間たちの助けも借りながら、異例のスピードで新生「銀座 ひみこ」を開店させます。
2000年6月3日、火事から3ヶ月後のこと。
上田さん:
なけなしのお金でやりくりしなくてはならなかったですし、スケルトン寸前の店に移って、電話の設備も整っていない状況でしたから、お客様へのお知らせも大変で。
今となってはおもしろい出来事だったと思えますけどね(笑)
当時のお客様は、新橋〜銀座を中心とした若いサラリーマンの方がメイン。
銀座で一番安い店といわれているほどのサービス精神旺盛っぷりで、中には毎日のように通う常連さんも。
上田さん:
常連さん同士で仲がよくて、20年以上経った今でも通称「ひみこ会」として定期的に集まっているみたいですよ。
『銀座 ひみこ』は、本格的なカクテルを提供するバーでありながら、銀座という都心の繁華街でコミュニケーションが行き交う場所となっていました。
東京の高級繁華街から、郊外にある自然豊かな観光地・伊香保へ。
上田さんがバーテンダーになって40年ほど経った2004年頃、新橋銀座周辺には高いビルが建ち並ぶようになり、風が通りづらくなってきたためか暑さが目立つように。
上田さん:
もう〜夏は暑くて暑くて、夜も熱中症になってしまいそうでした。
そんな時に、お客さんだった千明仁泉亭の22代目から伊香保でバーをつくるとのお話をお聞きしまして、これは占めた!と思いのっかることにしたんです(笑)
上田さん:
常連さんやバーテンダー仲間たちからは、「ほんとうに伊香保に行ってしまうの?」と惜しまれつつでしたけれど。
伊香保は一度、仕事で行ったことがあって、涼しいことを知っていましたから、思い切って伊香保へ移りました。
と言っても、今の銀座は当時よりもっと暑いですよね。伊香保は涼しいですよ〜
当時から20年ほど経った今でも、銀座の後輩たちが覚えてくれて嬉しいですね。
お客様もですけど、私は同僚たちにも恵まれていると思います。
千明仁名亭の鶴のシンボルマーク
まぼろしのカクテル『伊香保の四季』誕生ストーリー
上田さんが銀座にいた平成2年(1990年)頃に、まぼろしのカクテル「伊香保の四季」は誕生します。
春夏秋冬と季節が変わってゆく様子をイメージした4種類のカクテルは、色鮮やかで、そのビジュアルにも魅了されます。
『伊香保の四季』:左から、春→夏→秋→冬
上田さん:
伊香保の四季の誕生は、楽水楽山が入っている千明仁泉亭の22代目から依頼されたことがきっかけです。
当時から有名だった札幌にあるバーで、札幌の1年間をイメージした12種類のカクテルを作っていたそうで。
それを知って依頼してくださったみたいですね。
その時私は、伊香保のことをそこまで詳しく知らなかったものですから、正直12ヶ月はイメージしづらいなと。
そこで、四季ではどうでしょうか?と提案して4種類つくることになったんです。
2023年夏。千明仁泉亭の入口から見た伊香保の景色。
四季折々の伊香保を繊細で鮮やかに表現。
シェイカーを振る姿は、バーテンダーを引退した今も健在。
『伊香保の四季』、春夏秋冬それぞれのこだわりは?
上田さん:
全体的にまずは「色」。
それから、フレッシュな果物を使用しておりますので「香り」ですね。
フルーツは生ですべて搾りたてのものを使用しています。
あとは、最も大切な「味」。
美味しいカクテルを提供できるようにこだわっています。
もう…ぜんぶですね!笑
色鮮やかなカクテルが注がれていきます。なんときれいな色・・!
上田さん:
女性にはとくに、”秋”が人気ですよ。オレンジジュースが入っていますから、飲みやすいです。
それから、ブランデーの良い香りがすることと、一番コクがあります。
男性には夏が人気です。ハーブのような複雑で華やかな香りがあるシャルトリューズのレールを使用しています。
冬はヨーグルトを入れていて、酸味に加えて柔らかな甘味を感じるカクテルに仕上がりますので、こちらも女性に人気の傾向があります。
カクテルをサーブする姿も素敵です・・!
上田さん:
とくに若い方にはどのリキュールが入っているか説明しながら作ります。
お客さんとのお話の中で、飲む人の体質や好みを引き出して、リキュールの量を調整したり、その人に合ったカクテルをお出しするようにしていました。
楽水楽山のバーカウンター。落ち着きのある雰囲気です。
上田さん:
ギャラは出ないかもしれないけど、、リニューアル後のバーでも、常連さんに呼ばれたら店に行きますよ!タクシー代はもらいますけどね(笑)
上田さん:
うちの常連さんは、なんだかクセ強めのお客様が多いんです。熱狂的といいますか。
引退する時は、最後だからと泣いてくれました。もう会えないわけではないのにね。。(笑)
もしかすると、惜しまれているうちに退社するくらいが良いのかもしれないですね。ありがたいことです。
思い入れのあるグラスたち。
いわば相棒であるこのグラスたちと、上田さんはたくさんの人の心を動かしてきました。
楽水楽山のリニューアル後も、思いをグラスに託すように、継承して使用していくそうです。
お酒業界に60年ほどいる上田さん。今の若い世代は、お酒に弱くなっているように感じますか?
上田さん:
人それぞれですけどね、今の若い世代の子たちは、お酒に弱くなっているというよりは価格なども影響して離れていっている気がしますね。
でも、私のお店に来る若い子はみんなカクテルを飲む傾向がありますよ。
上田さん:
若い世代がカクテルのお店に訪れづらい印象を持っているかもしれませんね。
よくある居酒屋のお酒が入り口になって、それで慣れてしまっているからでしょうか。
プロのバーテンダーがつくるカクテルを飲めば、お酒の本当のおいしさが分かると思いますよ。
千明仁泉亭内のビールスタンド「カートルクラブ」で働くスタッフさんと。
楽水楽山があった場所は、今後内装をリニューアルして新しいバーへと生まれ変わる予定です。
上田さんが作るまぼろしのカクテルを通じた物語は、この場所とともに受け継がれ、続いていきます。