路地裏にあった昭和レトロな喫茶店「ラテン」の3種のスパゲティ ー 取材vol.3

パスタ高知49年喫茶店

高知市本町の電車通りから一本奥に入った路地裏にひっそりと佇む「喫茶ラテン」。半世紀に渡り常連客に愛されてきた。

お店を引き継いで49年、晴史さんの腰痛が悪化し、閉店を余儀なくされる。突然の閉店に、ショックを受けたお客さんが続出。

そこで「喫茶ラテン」で看板メニューである白・赤・黄の3種類のスパゲティをまぼろし商店が再現。


高知市本町の電車通りから一本奥に入った路地裏にひっそりと佇む「喫茶ラテン」。
開店から半世紀に渡り愛されてきた知る人ぞ知る喫茶店が、2018年6月18日、マスターの島田晴史さんの腰痛悪化が原因で閉店。
白・赤・黄の3種類のスパゲティが人気を博し、お客さんからは「スパゲティの店」として親しまれていました。

マスターの腰痛により突然の閉店、多くの常連客がショックを受ける

晴史さん:
こんなこと(腰痛)で店を辞めるとは思わんかった。辞めてはじめて、これまでようやってきたわと思うたがよ。やりゆうときはお店が潰れるとかいう心配せんかった。いつもスパゲティを食べに来てくる人がおったから、腰が痛くならんかったら、75歳までやろうと思いよった

お店を引き継いで49年、翌年に50年を迎えるタイミングで晴史さんの腰痛が悪化し、 閉店を余儀なくされました。突然の閉店に、ショックを受けたお客さんが続出したそうです。

晴史さん:
お店は1ヶ月後に辞めるのではなく、突然の閉店やったき、お客さんもびっくりしたろうね。閉めても別の店ができたらよかったけど、今もお店はそのまま残ってます

腰痛の悪化は突然のことだったそうですが、前兆はなかったのでしょうか?

晴史さん:
実は閉店する何年か前から痛くなりよった。お店を休んで整形外科に行って診てもらったりしよったんよ。結局、68歳のある日の朝、痛くて起き上がれんなってしもうた。
3人のお客さんから当日の席予約も受けていたのに、お店を開けることは出来んかった。『あぁ悪いことした』と思うて、それがもう一番ショックやったね

長年愛されてきた「喫茶ラテン」突然の閉店。晴史さんは1週間ほど“休業”の張り紙を貼ったそうですが、腰痛は治らず、朝起き上がれなくなった日の前日が最後の営業日に。

晴史さんにはお子さんも3人いらっしゃいますが、お店を継がせる気は全くなかったそう。

晴史さん:
子どもは子どもで、自分のやりたいことをやったら良いと思いよったき。けど、今思うと継ぐ人がいたらよかったなと思う。何人か教えてほしいという人が来たけど、その後お店を開いたという話は聞かない

25歳の時、兄・彰夫さんから店を引き継ぐ


「喫茶ラテン」は、1969年(昭和44年)に晴史さんの兄、彰夫さんが創業しました。

彰夫さんから「喫茶ラテン」を引き継いだとき、晴史さんは25歳。当時、大阪でお父さんの経営する会社の事務をされていました。彰夫さんから「店を引き継がないか?」と声をかけてもらったときに、よく考えずに「やる」と即答したといいます。

晴史さん:
兄は8つ歳が上で、私は末っ子やったから、一番可愛いと思うたろうかねぇ。1974年(昭和49年)の4月に帰ってきて、1年の引き継ぎ期間を経て、自分の店に切り替えてもらいました。
兄がやっていた時代は制服で、私も蝶ネクタイにベスト着てピシッと決めていましたね。ただ、ウェイトレスの制服を選んだりもようせんから、そのうち制服を辞めて、私服にエプロンを着るスタイルになりました。だから昔の雰囲気は壊れてしもうたわね

当初はラテン音楽をかけよった。私のお店になってからは昭和50年に流行しちょった小椋佳の曲を流しよったねぇ。お店を辞める頃にはアルゼンチン・タンゴの曲ばかり流しよったね

喫茶ラテンは路地裏の目立たない場所にあったため、隠れ家的なお店としてお客さんに好まれていました。美味しいスパゲティはもちろん、昭和レトロで落ち着いた雰囲気もお客さんを惹きつけていた理由の一つではないでしょうか。

ニンニクの風味がたまらない!長年親しまれてきた3種のスパゲッティ

そして「喫茶ラテン」の一番の魅力は、長年親しまれてきた3種の(白・赤・黄)スパゲティ。晴史さんは「味付けは適当ですわね。他のカッチリした店みたいにやってないから。目分量よね(笑)」と言いますが、掘り下げて聞いてみるとお客さんに愛されている理由が垣間見えました。

晴史さん:
兄から引き継いだ当初は、ナポリタン(赤)以外には隠し味のニンニクを入れてなかったんよ。私のお店になってからは、他2種類もニンニクをすって全部入れるようになった。私が思うに、ニンニクを入れると風味が増して美味しくなる。

兄のときにはスパゲティも普通盛りしかなかった。私になってからは量を多めにしたがよ。そしたらお客さんが『スパゲティ大盛り』と言い出して。そしたら『大盛り』がクセになるやんか。女のお客さんには『普通盛り』や『小盛り』でやりよったわね。そのうち『特盛り』じゃいう人も出てきたき(笑) 他にも『ニンニク多め・ちょっと・ちょい入り』といか、いろいろ(笑)

お客さん一人一人、丁寧に味や量を変えていたことが長年愛されている理由なのではないかと感じました。スパゲティの値段は元々480円でしたが、引き継いでからは3種類とも650円。麺や具材の量を増やしても減らしても同じ値段で提供していたと言います。

ニンニクを入れたスパゲティがお客さんに受け入れられて、いつの間にか「スパゲティの店」と言われ始めたそう。

晴史さん:
お客さんからは白・赤・黄のスパゲティで呼ばれよったけんど、最初は違うかったがよ。イタリアン(白)、ナポリタン(赤)、ドライカレー(黄)の3種類。イタリアン(白)はナポリタン(赤)と思ってオーダーする人が多かった。イタリアン(白)で作ると「あれ?思ったのと違う」とお客さんに言われた。

いつの間にか、お客さんが白・赤・黄のスパゲティと言うてくれるようになり、『イタリアンスパゲティ』と言わなくなった。お客さんが段々こういう呼び名にしていったという感じ。お客さんも気に入ってくれて、最後はスパゲティの店になったわね(笑)

兄から引き継いだときには珈琲に凝っていて、喫茶店として営んでいました。お昼は軽食としてスパゲティを傍ら出す程度。当初はオリジナルブレンドコーヒーを出していた珈琲専門店やったけど、それが逆転して珈琲はほとんど出んなったわね(笑)


喫茶ラテンの看板メニューとなったスパゲティの美味しさの秘訣は何なのでしょうか?

晴史さん:
(白)スパゲティには、白ワインを入れているんやけど、入れると入れんで全然違うもんね。それと炒めるときにサラダ油にラードを加えると美味しさが変わる。

34cmの大きめの鉄フライパンを火にかけて、煙が出てきたらサラダ油とラードを入れる。すぐにピーマン、玉葱、マッシュルーム、ウィンナーソーセージを入れて炒めるわけよ。ある程度炒まったら、麺を入れて混ぜる。

ある程度炒まってくると塩、胡椒、うま調味料、それから好みによってニンニクを入れる。それから強火で炒めて、(黄)と(白)は白ワインを入れて回し入れます。

お皿に盛り付けてレタスをどっさり入れる。最後にグリーンピースと粉チーズをふって、マヨネーズをかけたら出来上がりです


「このお店でしか食べれない味!」とお客さんから太鼓判を押された昔懐かしい昭和の味、一度堪能してみてみませんか?