昭和30年代から料理人として生きた。魚市場の定食屋「柿の実」のユッケステーキ-取材 vol.2

ユッケステーキ鹿児島朝鮮料理

鹿児島中央卸売市場の定食屋「柿の実」では、人気の「ユッケステーキ」を目当てに常連が毎日通ってしまうほど人気だった。

しかし店主の笹師さんが80歳の時に、惜しまれつつもお店をたたむことに。

そこで「柿の実」のレシピと想いを継承し、多くに人に愛されたユッケステーキがまぼろし商店にて復活。


鹿児島中央卸売市場の定食屋「柿の実」が、2021年3月末、惜しまれつつ閉店。2006年にオープンした柿の実の人気メニュー「ユッケステーキ」について、さっそく店主の笠師洋司さんに取材を始めた。すると話の始まりは昭和30年代までさかのぼる。何を隠そう笠師さんはおしゃべり好きなおじちゃんなのだ。

まかないで覚えた本場仕込みの朝鮮ユッケ


せっかくなので笠師さんの料理人としての歴史をギュギュっと凝縮してお伝えしよう。地元の石川県の中学を卒業した笠師さんは、京都のコーヒー店に就職。「下働きだよ。そこで30~40人のスタッフのまかない番になった」。それから京都を経て、東京へ移り住むと、さまざまな飲食店のまかない番としてお声がかかる。

笠師さん:
いろいろなお店に手伝いに行ったけれど、必ず“まかないを作ってくれ”と言われてね。料理人はまかないの味にうるさいから、それで料理の腕を磨いた。勤め先がたまたま朝鮮人経営者の店が多かったから、ユッケの味もそこで覚えたんだよ。

妻の愛子さんの故郷・鹿児島の繁華街・天文館で居酒屋をオープン

28歳のとき、妻の愛子さんの故郷である鹿児島の繁華街・天文館で居酒屋をオープンした。

笠師さん:
50年ほど居酒屋をやったけど、一緒にやってきた義妹に任せることにしたんだよ。そして、65歳のときに市場に空き店舗があるっていうので、妻と“ふたりで定食屋でもやろうか”という話に。子どもが生まれてから30年くらい別々に働いていたから、久しぶりに一緒に仕事をしたんだ。


笠師さんと愛子さん夫婦のコンビネーションは絶妙だ。黙々と料理をつくる笠師さんに対して、お客さんとコミュニケーションを図るのはきまって愛子さんだ。

笠師さん:
お客さんのほとんどは毎日来る常連さん。注文は、半分以上の人が“おまかせ”。飽きないように昨日とは違うメニューにしてね。“おまかせ”はこちらも段取りよく仕事ができるし、お客さんも満足してくれていたんだよ。

朝鮮料理店仕込みのユッケステーキは、どのように誕生したのか。

笠師さん:
生肉が食べられないようになったから、ユッケをステーキにしたんだよ。肉は100パーセント牛肉。ハンバーグには玉ねぎを使うけれど、うちのはユッケだから長ネギを入れているよ。ソースは焼き肉のタレみたいにして、完全にユッケの味。僕は硬いハンバーグは嫌いだから、ユッケステーキもやわらかくふわふわに。よくハンバーグ店でタネをパンパン投げるようにして空気を抜いているでしょう。僕の持論だけど、あれは演出で大げさにやっているの。もうタネは捏ねているんだから、焼く前はさっと形を整えるくらいでいい。かっこつけるのとていねいなのは違うんだよ。


そう語る笠師さんに“レシピを伝承することに抵抗はなかったのか”尋ねると、

笹師さん:
なくなりかけたうちの“ユッケステーキ”を復活させてくれるというのだから、うれしいよね。レシピを教える云々より、これからもお客さんに食べてもらえる喜びのほうが大きいよ。


じゃん! これが笠師さんのユッケステーキのレシピ。おぉ受け継ぐ、と言ってもこれでは作りようがない…! 「これまで目見当でやってきたからね。何グラムとか大さじ何杯なんてやったことないよ」。厨房で作り方を教わるときは、笠師さんの長年の目分量を一つひとつ計りながら同時にレシピを整える。


この日、久しぶりに厨房に立つ笠師さんだったが、ユッケステーキをつくる手元によどみはない。タネを丸めるときの手つきは、すばやくてやさしい。形を整えたあとに、手のひらを反して指の外側でタネを2~3度トントンとなでるようにしたのを見逃さなかった。あの仕草は、“おいしくなあれ”の魔法に見えた。(確認したら否定されそうだったのであえて聞かなかった!)。温泉卵をつくるときは、鍋の中の熱湯にサッと指先を入れて温度を測る。卵の火の入り加減を確認するためには、台の上で卵をクルッと回した。そうこうしているうちに厨房はユッケステーキの芳醇な香りに満たされる。

肉のうまみとコクと酸味のあるソースが最高のハーモニーを奏でるユッケステーキ

さて、焼きたての「柿の実」のユッケステーキは二度おいしい。ひと口目はステーキにユッケソースをたっぷりつけて、肉のうまみとコクと酸味のあるソースを堪能、やわらかなステーキからは肉汁が口いっぱいに広がる。次に、熟練の勘でとろとろに仕上げられた温泉卵を箸で割り、ステーキに黄身を目一杯つけて味わう。ユッケソースが卵の風味でマイルドになり、よりこっくりとした深い味わいがなんともあとを引く。「おいしい、おいしい!」と気づけば一皿ぺろりと平らげてしまう。

こんなにもおいしいものを作れるのに、「柿の実」はなぜ閉店してしまったのか。

笠師さん:
歳をとったんです。自宅で仕込みをしていたのだけど、二階の部屋からスープの入ったずん胴を持って階段を下りるのが怖くなった。足元がふらつくときがあって、いつか踏み外すんじゃないかって。それから、僕はずっと腕相撲には自信があったんだよ。でも大学生と高校生の孫にいとも簡単に負けてね。見かけは元気だけど、80歳。やっぱりガタがきてるんだな、潮時だなと思ったんだよ。

ふと、笠師さんの手元に目をやると、80年もの年輪がしわとなって深く刻まれていた。

「柿の実」のユッケステーキを食べてその閉店をさみしく思うと同時に、伝承される喜びを感じる。

笠師さん:
まぼろし商店にユッケステーキの作り方を教えて、みなさんが食べておいしいと思ってくれたら僕はそれでいいんだよ。伝承なんて言うけれど、後世に残すとかそんなにたいしたもんじゃない。ユッケステーキはただの料理なんだから、深く考えずにおいしく食べてもらえたらそれでいいんだよ。

笠師さんの誠実でシャイな人柄と、料理への愛が詰まった言葉だ。

まぼろし商店が復活させた「柿の実」のユッケステーキは、笠師さんの料理人としての人生と料理への想いも継承している。ぜひご賞味あれ!


今回、「柿の実」のユッケステーキをご紹介してくれたのは、鹿児島で複数の飲食店を経営する株式会社ホームの大木晃さん。

ライター紹介
やました よしみ

鹿児島市在住。静岡県浜松市出身。大学卒業後、都内の出版社、編集プロダクション勤務を経て、2011年、夫の故郷である鹿児島へ移住。2012年よりフリーランスとして活動。得意分野は食と暮らし、アート。“デザインとアートと食”をかたちにするクリエイティブユニットのメンバーとしても活動している。
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